大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)2870号 判決 1989年7月31日
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告甲野花子に対し、金一八三一万円及び内金一六六五万円に対する昭和六一年六月三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告甲野春夫及び原告甲野夏子に対し、各金六八六万円及び各内金六二四万円に対する昭和六一年六月三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告は、原告乙野秋子及び原告乙野冬夫に対し、各金四〇〇万円及び各内金三六四万円に対する昭和六一年六月三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
5 1ないし3につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告甲野花子(以下「原告花子」という。)は訴外亡甲野太郎(以下「太郎」という。)の妻であり、原告甲野春夫(以下「原告春夫」という。)及び原告甲野夏子(以下「原告夏子」という。)はいずれも原告花子と太郎の子であり、また、原告乙野秋子(以下「原告秋子」という。)及び原告乙野冬夫(以下「原告冬夫」という。)はいずれも訴外乙野月子と太郎間の子(太郎の認知を受けた非嫡出子)である。
被告は、大阪市都島区都島南通二丁目八番九号で東朋病院の名称で病院を経営する医師であり、右病院で医師里村一成(以下「里村医師」という。)外の医師を雇用して医療行為に当たらせている者である。
2 太郎の死亡と原告らの相続
太郎は、昭和六一年六月九日午後七時二三分、医療法人錦秀会阪和記念病院で、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を直接の死因として死亡した。原告らはいずれも太郎の相続人として同人を相続したが、その相続分は、原告花子が二分の一、原告春夫及び原告夏子が各六分の一、原告秋子及び原告冬夫が各一二分の一である。
3 太郎が死亡するに至った経緯
(一) 太郎(昭和二一年一〇月二四日生まれ)は、昭和六一年一月二三日、大阪市内で自動車に同乗中、後方から進行して来た自動車に追突される事故に遭った。太郎は、同日から同月二五日まで頸部捻挫の病名で富永脳神経外科病院で通院加療を受けた後、被告の経営する東朋病院に、同日と同月二六日に通院し、同月二七日から同年三月一三日まで入院し、更に同月一四日から同年六月一日まで通院して、それぞれ同病院の医師の治療を受けた。
(二) ところが、太郎は、通院中の同年六月二日(以下「二日」という。)午後四時ごろ、同病院待合室で突然意識を喪失して倒れたが、担当の里村医師は、太郎の右症状を心不全と診断し、同日中心臓マッサージの手当を継続したが結局軽快することがなかった。そこで、原告らは、やむをえず太郎を同月三日(以下「三日」という。)午後四時四〇分ころ、医療法人錦秀会阪和記念病院に転医させたところ、同病院では太郎の症状について脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血と診断され、同月四日、急拠、血腫除去等の手術がなされたが、時期遅きに失し、太郎は同月九日午後七時二三分、前記2のとおり脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血により死亡するに至った。
4 被告の責任
被告は、次のとおり、太郎の右死亡について不法行為責任を負う。
(一) 被告及び里村医師の誤診
里村医師は、前記3(二)のように、太郎が突然意識を喪失して倒れたときに、その原因を心不全と診断し、また、被告も里村医師の右誤診を軽信した。しかし、意識を喪失した後の太郎の二日から三日にかけての症状は、次のとおり、心不全ではなく、明らかに脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の発症を示すものであり、被告及び里村医師は、太郎の年齢、症状等を的確に観察、診察すればこの原因が脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であると診断することが可能であった。
因みに、脳動脈瘤の発生は四〇歳から五〇歳代に最も多く、その症状は突然性の激しい頭痛並びに意識障害又は意識喪失である。他方、心不全の臨床所見、身体的所見としては、呼吸困難、心音及び脈拍の異常、静脈怒張等を示す。
ところで、太郎は、もともと心臓疾患を有していなかった。このことは、東朋病院において昭和六一年一月二八日とられた太郎の心電図がほぼ正常な状態を示していることから、被告及び里村医師も容易に認識することが可能であった。そして、太郎が倒れた直後である二日午後六時二二分に同病院でとられた心電図には、急性心筋梗塞の可能性を疑わせる異常な波形が表れているが、これも翌三日午前九時三七分には、やや頻脈があるもののほぼ正常に復している。したがって、右心電図によれば太郎の心機能は遅くとも右時刻には完全に回復していたことが明らかであり、被告及び里村医師もこれを認識できた。なお、被告は太郎に心停止があったと主張するが、右各心電図に照らしても、心停止があったか否かは疑わしい。
一方、里村医師は、太郎が倒れた直後に太郎を診察し、当初より頭部症状としての外傷性てんかんの疑いをもったのであり、この点から、太郎の症状について、たとえ現象的には心機能の異常が顕著であったとしても、その本源が頭部にあることを疑っていたことを推測させる。
また、太郎の呼吸状態は、一時呼吸停止に陥ったとしても、二日午後七時には時にはバッキング(挿管による咳込み)が残存するものの、自発呼吸を再開しており、三日午前零時にはバッキングも消失し、三日午前一時四〇分には規則的で安静呼吸となった。即ち、遅くとも三日午前一時四〇分には太郎の呼吸障害は一応消失していたのであるから、遅くともこの時点で精密検査は可能であった。
更に、被告は二日午後九時の時点で既に脳血栓を疑い、また、三日午前二時の時点では脳出血を疑って、腰椎穿刺による血性髄液の採取を実施し、その結果は完全に血性であった。これは、太郎がくも膜下出血又は少なくとも脳出血を発症していることの顕著な所見である。
右のような太郎の症状からすると、被告は、その原因が頭部にあることを認識し、また、速やかにくも膜下出血を疑って検査診断をして、これに対する迅速適切な措置をすべきであった。それにもかかわらず、被告が、太郎の症状についてくも膜下出血と診断したのは、右顕著な所見を得てから九時間三〇分も後の三日午前一一時三〇分以降であった。したがって、被告及び里村医師は、それまでくも膜下出血に対する有効な対症療法を全く行わなかった。その結果、太郎が施術されるべきであった迅速、適切な手術の機会を奪ったものである。
(二) くも膜下出血に対する手術の必要性と可能性について
太郎の罹患した脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血死は、頭蓋内の動脈瘤破裂による大量の出血とそれに伴う浮腫により頭蓋内圧の亢進から脳ヘルニアを起こし死亡することが殆どで、初回発生時の死亡率は約一五パーセント、再発作の場合の死亡率は約四五パーセント、第三回の発作の場合の死亡率は約七五パーセントにも及ぶ危険な疾病である。しかし、手術療法の改善と普及によって、くも膜下出血の予後は著しく良好になってきており、くも膜下出血による全死亡率は一〇・七パーセント、手術後の死亡率は五・六パーセント、復職率は七七・四パーセントという報告もある。
くも膜下出血による脳動脈瘤の治療としては原則として手術療法が選択されるが、その時期については、一般に発症後一日ないし三日の間であれば直ちに手術を行うべきであり、徒に絶対安静を保たせて時間を空費することなく直ちに専門医のいる施設に移送する必要があり、また、緊急の救命手段として血腫の除去手術又は脳室ドレナージを施術して、かつ再発防止のためにはできるだけ早期に手術を行う必要がある。したがって、医療に携わる者は、患者に脳動脈瘤の存在又は脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のあることを発見した場合には、早期に血腫の除去、脳室ドレナージ、動脈瘤柄部閉塞等の手術を行い、脳ヘルニアの予防、再発の防止をはかって患者の生命を守る義務を負う。
そして、前述のように被告は三日午前二時には太郎の症状につきくも膜下出血又は脳出血の顕著な所見を得ており、また、遅くとも同日午前一時四〇分には呼吸障害は回復し、更には遅くとも同日午前九時三七分ころには心機能も回復していたのであるから、これらの時点で手術適応性があったのであり、被告は、太郎について確定的検査を施行し、直ちに手術を施行するか手術のできる施設に移送すべきであった。このことは、太郎が前記阪和記念病院で、転医した三日午後四時四〇分ころのわずか一九時間後である翌四日午前一一時ころに手術を受けたことからも明らかである。
ところが、被告は、右手術適応性があるにもかかわらず、太郎の症状について確定的検査をせず、いたずらに時間を空費し、右検査に基づく確定的診断結果の取得及び右診断結果に基づく適切な救急措置の施行を著しく遅延させ、更には手術不適応との誤った診断により太郎に対する迅速かつ適切な手術の機会を奪ったのである。
なお、被告は太郎について手術不適応と判断していたのであるから、太郎に対する手術が阪和記念病院で緊急になされたとしても、それはあくまで同病院の診断と努力によるものであり、被告の過失を消失させるものではない。
(三) まとめ
したがって、被告は、医師として、太郎の症状を的確に観察し適切な検査を行えば、その原因が脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であると早期に診断できたにもかかわらず、里村医師の誤診を軽信するなどして安易に心不全と診断したため、くも膜下出血であるという診断を遅延させ、かつ、くも膜下出血と診断した後も、安易に手術適応性がないと判断し、適切な救急措置の施行を著しく遅延させた過失がある。太郎は、このため、手術時期が遅延して死亡するのやむなきに至ったので、被告は、太郎の死亡につい不法行為責任を負う。また、里村医師も、太郎が倒れたときに、担当医師として太郎の年齢、症状等を的確に観察、診察して判断すれば、その原因が脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であると診断できたにもかかわらず、これを安易に心不全と誤って診断した過失があり、このため太郎は手術時期が遅延して死亡してしまったが、被告は、里村医師の使用者として、その監督義務違反の不法行為責任をも負う。
なお、被告はいやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事するものとして、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要と認められる最善の注意義務を要求される(最高裁昭和三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)にもかかわらず、適切、迅速な検査を尽くさなかったため、太郎の危険状況を把握できず、よって手術時期の著しい遅延及びその間の適切な救急措置を講じえなかったのであり、このような状況においては、被告には太郎の死の結果を予見しえたのに過誤により予見しなかったものと推定されるべきものである(最高裁昭和五一年九月三〇日第一小法廷判決・民集三〇巻八号八一六頁参照)。
5 損害
原告らが太郎の死亡により被った損害は次のとおりである。
(一) 太郎の逸失利益
金六九六三万六八一六円
太郎は、生前昭和ハウス(代表者岡本盛明)に営業部長として勤務し、昭和六〇年の一年間に支給された給与収入の手取り総額は金六二二万一一〇〇円であった。そして、太郎は死亡時満三九歳であった。よって、太郎の死亡による逸失利益は、年収金六二二万一一〇〇円に就労可能年数二八年についてのホフマン係数一七・二二一と生活費控除率六五パーセントを乗じた金六九六三万六八一六円である。
(二) 太郎の死亡慰藉料
金二五〇万円
右(一)、(二)の合計金七二一三万六八一六円が太郎の固有の損害であるが、原告らは、これを原告花子において金三六〇六万八四〇八円、原告春夫及び原告夏子において各金一二〇二万二八〇二円、原告秋子及び原告冬夫において各金六〇一万一四〇一円、それぞれ相続した。
(三) 遺族の慰藉料
原告ら各自につき金二四〇万円
太郎は、原告花子の夫であり、また、その余の原告らの父であるところ、その死は原告らに対して非常な精神的損害を与えたものであり、その損害は原告ら各自について金二四〇万円が相当である。
(四) 弁護士費用
原告らは本件訴訟を提起するため原告ら訴訟代理人に訴訟追行を委任したので、太郎の死亡による損害として、原告花子は金一六六万円、原告春夫及び原告夏子は各金六二万円、原告秋子及び原告冬夫は各金三六万円の弁護士費用をそれぞれ請求する。
6 よって、被告に対し、いずれも不法行為による損害賠償請求権に基づき、
原告花子は、右損害額のうち弁護士費用を除く金三八四六万八四〇八円の内金一六六五万円及び右弁護士費用金一六六万円の合計一八三一万円、
原告春夫及び原告夏子は、右損害額のうち弁護士費用を除く各金一四四二万二八〇二円の各内金六二四万円及び右弁護士費用各金六二万円の各合計六八六万円、
原告秋子及び原告冬夫は、右損害額のうち弁護士費用を除く各金八四一万一四〇一円の各内金三六四万円及び弁護士費用各金三六万円の各合計金四〇〇万円、及びこれらのうち、それぞれ弁護士費用を除く請求額に対する被告の不法行為の日の翌日である昭和六一年六月三日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否及び被告の主張
(認否)
1 請求原因1(当事者)の事実は認める。
2 請求原因2(太郎の死亡と原告らの相続)の事実のうち、太郎が原告主張の日時、場所において死亡した事実は認める。太郎の死因については不知であるが、原告主張の死因であることは十分考えられるところである。その余は不知である。
3 請求原因3(太郎が死亡するに至った経緯)の事実について
(一) 同(一)の事実のうち、太郎が東朋病院に、昭和六一年一月二五日と同月二六日に通院し、同年一月二七日から同年三月一三日まで入院し、更に同月一四日から同年六月一日まで通院して、それぞれ同病院の医師の治療を受けた事実は認め、その余の事実は不知。
(二) 同(二)の事実のうち、太郎が東朋病院において、二日、心不全と診断され心臓マッサージを受けた事実、三日、阪和記念病院に転医した事実、及び同月九日午後七時二三分死亡した事実は認め、その余の事実は不知。被告の主張は後述のとおりである。
4 請求原因4(被告の責任)について
(一) 同(一)のうち、脳動脈瘤の発生が四〇歳から五〇歳代に最も多く、その症状は突発性の激しい頭痛並びに意識障害又は意識喪失であることが、医学上の一般的見解としてはほぼ正しい主張であることは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 同(二)のうち、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血死は、頭蓋内の動脈瘤破裂による大量の出血とそれに伴う浮腫による頭蓋内圧の亢進から脳ヘルニアを起こし死亡することが殆どで、初回発生時の死亡率が約一五パーセント、再発作の場合の死亡率は約四五パーセント、第三回の発作の場合の死亡率は約七五パーセントにも及ぶ危険な疾病であり、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のあることを発見した場合には、早期に血腫の除去、脳室ドレナージ、動脈瘤柄部閉塞等の手術を行い、脳ヘルニアの予防、再発の防止をはかって患者の生命を守ることが必要であるという主張は、医学上の一般的見解としてはほぼ正しい主張である。また、太郎が同月四日午前一一時ころ阪和記念病院で手術を受けた事実は認める。その余の主張は争う。
(二) 同(三)は争う。被告の責任についての被告の主張は後述のとおりである。
5 請求原因5(損害)の事実のうち、太郎が死亡時満三九歳であった事実は認めるが、その余の事実は不知。
(主張)
被告及び東朋病院に勤務する医師の太郎に対する診断、治療行為及び転医の措置は、以下のとおり、いずれも適切であって過失はない。
1 太郎の症状及びこれに対する被告及び東朋病院医師の措置について
太郎は、交通事故による受傷後の後遺症状として頭痛、肩こり及び腰痛を訴え、リハビリテーションのため東朋病院に通院中であり、二日も同病院に来院した。
太郎は、同病院第二診察室において、当日外来患者担当の里村医師の診察を受けていた最中、突然全身痙攣を起こし、座っていた椅子から床に倒れた。この時刻は二日午後五時五〇分ころである。これに対して、里村医師は、太郎の右症状について外傷性てんかんの疑いをもち、セルシン一アンプルを筋肉注射して痙攣を抑えたうえ、同日午後六時ころ太郎をストレッチャーで同病院集中管理室に入院させ、直ちに被告に引き継いだ。里村医師が太郎に関与したのは右の段階までである。
二日午後六時ころ、同病院集中管理室に移された太郎の症状は、意識を喪失している上に心停止、呼吸停止となり、白血球数は二万〇七〇〇(正常値は二〇〇〇ないし八〇〇〇)を示し、壊死の状態ともいうべく、内肢、顔面チアノーゼが著しく、心電図には梗塞曲線が現れ、心臓後壁の運動不全が認められる重篤な状態であった。
診察に当たった被告は、太郎の右症状を見て、急性心不全と診断したが、なお、その原因が心臓の疾患によるものか、脳内出血などによるものか判定できず、これを判定するには精密検査を要するので、取り急ぎ命にかかわる心停止、呼吸停止等に対する措置をとり、痙攣を収めて症状を落ち着かせて手術前の検査を含む検査を施行することが可能となるよう、循環及び呼吸を管理して経過を観察した。
太郎に対して被告のとった措置は、白血球数の測定をはじめ、心電図、心エコーを用いた検査を実施し、また、心停止を改善するため気管内挿管を施して人工呼吸をし、更に、バッキング(挿管による咳込み)防止のためのミオブロックの静脈注射をした。この間、太郎の痙攣は続いていたが、この痙攣を抑えながら、心臓にモニターを装着して心臓活動、呼吸活動を回復確保したうえ、これを管理したのである。これらの措置は最優先してとられるべきもので、これらを確保しなければ直ちに太郎は死亡し、その余の精密検査も不能、無意味となってしまうのである。
被告の右措置の後、同日午後九時三〇分以後は、東朋病院当直医の今林医師が引き継ぎ、治療に当たった。今林医師は、太郎の循環及び呼吸をモニターして管理したうえ、心悸亢進を抑制すべく、中心静脈圧を測定して点滴速度を調整し、また、太郎がファイティング(機械呼吸との不適合)を起こすとセルシン、ミオブロックを静脈注射して安静呼吸を維持し、症状の鎮静化をはかった。なお、二日午後九時ころに太郎の家族と連絡がとれたので、今林医師は来院した家族に対して「心筋梗塞を起こしたのは確かであるが、頭痛、痙攣との関係など不明な点がいくつかある。とりあえず一般状態を落ち着けたうえで精密な検査が必要である。現在比較的落ち着いてきたようだが、なお重篤な状態で再発作、増悪の可能性は十分ある。」旨の説明を行った。
そして、三日午前一一時ころには太郎の痙攣及びバッキングが鎮静化したので、被告は、同日午前一一時三〇分、アンビュ(手動式人工呼吸器)を使用したまま太郎をCT室に移して、レスピレーター(人工呼吸器)をつけたまま頭部CT診断を行ったところ、脳溝、脳室内に均等に出血している状態が認められたので、太郎の症状についてくも膜下出血と診断した。更に、被告は同日午後零時四五分、ルンバール(脊髄液を採取して行う検査)を施行し、太郎の症状が確定的にくも膜下出血であると診断した。
被告は、右のように太郎の症状についてくも膜下出血と診断したので、三日午後一時ころ、脳外科の専門医を擁する阪和記念病院に太郎を転送することとし、専門医である同病院の奥医師に紹介して、同日午後三時ころ転送した。被告は、その際、紹介状で診断結果を明らかにし、必要な資料を添付した。その後、太郎は、翌四日午前一一時ころ、阪和記念病院で脳外科専門医による手術(開頭しての脳動脈瘤クリッピング術)を受けたものである。
原告らは請求原因3で、里村医師が二日中心臓マッサージの手当を継続したが結局軽快することなく、原告らがやむをえず太郎を阪和記念病院に転医させたと主張するが、前述のとおり、心臓マッサージは里村医師が約一五分間行ったのみである。また、太郎の症状がくも膜下出血である旨の診断を下したうえで被告が速やかに自ら転医をはかって家族に了解をえたのである。
なお、太郎のように、くも膜下出血によって意識喪失、心停止をきたした場合、たとえ第一回目の発作であっても手術によって生命をとりとめる可能性は殆どないのであるが、太郎が三九歳と比較的若かったので、被告は、万一にも手術により助かることができるならばと阪和記念病院に手術要請をしたというのが実際である。
2 被告の無過失について
原告らは、被告について、太郎の症状を安易に心不全と診断した過失及びくも膜下出血と診断した後も安易に手術適応性がないと判断した過失があり、また里村医師についても安易に心不全と誤診した過失があると主張する。しかし、以下のとおり、被告及び里村医師には過失はない。
(一) くも膜下出血の診断
前記のように、被告が太郎についてくも膜下出血の確定的な診断結果を得たのは三日午前一一時三〇分ころである。ところで、くも膜下出血の疑いをもったときに、その確実な診断結果を得る方法としては、CT(コンピューター)による脳の断層写真による判定が最適な方法である。そしてCT撮影が可能な条件として、呼吸が自力でできること、痙攣がないこと及び血圧が正常なことが必要である。前記のように、太郎の痙攣及びバッキングが鎮静化したのは三日午前一一時ころであり、その時点でも、アンビュとレスピレーターを用いて辛うじてCT撮影をしたのであり、右検査が遅延したとはいえない。そして、その結果を得てその直後に腰椎穿刺を行って脊髄液の判定により確定的にくも膜下出血の診断を下したのである。前記のように被告及び東朋病院の医師が、太郎の症状を心不全と診断し、その原因が心臓にあるか頭部にあるかの疑問ももち続けて挿管を施したうえ、心停止を改善するためのマッサージ、呼吸停止を改善するための人工呼吸、痙攣を収めるための注射・薬剤の投与を行いながら循環並びに呼吸を管理して経過を観察したうえ、右CT撮影に及んでくも膜下出血の診断をした過程には何らの過誤もないのである。
(二) 手術時期について
(1) くも膜下出血の重症度は、次のように分類される(ハントら一九七四年による)。
第[1]度 無症状又は軽い頭痛或は軽度の項部強直を示す。
第[2]度 中等度から高度の頭痛と項部強直を示す。脳神経麻痺の他局所神経症状がない。
第[3]度 傾眠状態、錯乱状態にあり中等度の局所神経症状がある。
第[4]度 混迷状態中等度から高度の不全片麻痺、初期除脳強直があり、自律神経障害を示す。
第[5]度 昏睡、除脳強直、瀕死状態
なお、高血圧、糖尿病、動脈硬化、慢性肺疾患、高度の血管攣縮をみるときは、重症度を一段重いほうへもっていくこととされている。
そして、くも膜下出血の治療については、右重症度に応じた方法が必要であり、手術時期も次のように異なる。即ち、
第一ないし第三日には重症度[1]ないし[3]であれば直ちに手術を行うべきである。
第四ないし第八日には重症度[3][4]の患者は手術を延期し、重症度がよくなってから手術をすべきである。
第二週以後は重症度[1][2]は手術する。[3][4]では多くは脳血管攣縮を伴っているので、保存的療法で脳血管攣縮が寛解し、意識状態の改善を待って手術する。但し、寛解期には再出血が起こりやすいので脳血管攣縮の発生から一週間くらい経って寛解が始まった時期をのがさず手術すべきである。手術を行えない症例に対しては内科的に対処しなければならない。
(2) くも膜下出血の手術時期に関しては、早期手術を行うか待機手術を行うかは右のような患者の状態に応じた選択が必要であり、どのような場合であっても、早期手術が適切であるとは限らない。
また、くも膜下出血の治療については、早期手術を強調する立場に立っても、発病後六時間以内は諸検査を行うことさえ不可能であり、六時間経過後四八時間以内に手術を行えば足りるとされている。つまり、発病後五四時間以内に手術が行われれば、手術の時期を逸したことにはならない。
(3) ところで、本件において、太郎のくも膜下出血は、被告の診断によっても、重症度第[4]度以上であることが確実であった。また、転送先の阪和記念病院の脳外科専門医師大槻秀夫も、太郎のくも膜下出血が重症度第[4]度に当たると診断している。
そして、被告及び東朋病院医師らは、太郎を治療するに当たって、右重症度からして手術の対象とならない、或いは少なくとも保存的療法で意識状態の改善をまつべく、内科的措置に止めざるをえず、当面は手術の必要を認めないと判断したのであり、その判断に何ら誤りはない。
また、前記のように、被告は太郎の症状についてくも膜下出血と診断した後、阪和記念病院の奥医師に紹介したうえ、三日午後三時ころ、太郎を同病院に転送し、太郎は、翌四日午前一一時ころ同病院で脳外科専門医により開頭手術を受けたものである。即ち、太郎は発病後遅くとも四二時間後には手術を受けたのであり、その間に診断及びそれに基づく措置の遅延は全くないのである。このことは、阪和記念病院でも、太郎について三日午後三時ころに転送を受けた後、翌四日午前一一時まで状態を観察したうえで手術を行っていることからも明らかである。なお、原告ら主張のように、被告が三日午前二時ころ、太郎についてくも膜下出血の所見ないし疑いをもっていたとしても、被告の措置に遅延がないことに変わりはない。
第三 証拠<省略>
理由
一 請求原因1(当事者)の事実については当事者間に争いがない。なお、<証拠>によると、被告及び里村医師はいずれも外科を専門としている事実が認められる。
二 請求原因2(太郎の死亡と原告らの相続)の事実のうち、太郎が昭和六一年六月九日午後七時二三分、医療法人錦秀会阪和記念病院で死亡した事実については当事者間に争いがなく、また、<証拠>を総合すると、太郎は脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を直接の死因として死亡した事実が認められる。前記一の事実と右事実によると、原告らはいずれも太郎の相続人として同人を相続したが、その相続分は、原告花子が二分の一、原告春夫及び原告夏子が各六分の一、原告秋子及び原告冬夫が各一二分の一であることが認められる。
三 請求原因3(太郎が死亡するに至った経緯)の事実について判断する。
請求原因3(一)の事実のうち、太郎が、被告の経営する東朋病院に昭和六一年一月二五日と同月二六日に通院し、同月二七日から同年三月一三日まで入院し、更に同月一四日から同年六月一日まで通院して、それぞれ同病院の医師の治療を受けた事実については当事者間に争いがなく右事実に加えて、<証拠>を総合すると、太郎(昭和二一年一〇月二四日生まれ)は、昭和六一年一月二三日、大阪市内で自動車に同乗中、後方から進行して来た自動車に追突される事故に遭い、そのため、頸部捻挫の病名で富永脳神経外科病院で通院加療を受けた後、右認定のように東朋病院で入通院の加療を受けた事実が認められ、この認定に反する証拠はない。請求原因3(二)の事実のうち、太郎が東朋病院において、二日、心不全と診断され心臓マッサージを受けた事実、三日、阪和記念病院に転医した事実、及び同月九日午後七時二三分に死亡した事実についてはいずれも当事者間に争いがない。その余の事実については後記四で判断する。
四 請求原因4(被告の責任)について判断する。
1 まず、二日から三日にかけての太郎の症状及びこれに対する被告らの東朋病院医師の措置の内容・経過について判断する。
前記認定事実に加えて、<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
太郎は前記のように東朋病院に通院していたが、二日午後五時四五分ころ、同病院の一階診察室で当日外来の診察にあたっていた里村医師の診察を受けた。太郎は、その際の問診で、最近、頭痛、特に頸部から肩にかけての痛みないし圧迫感がひどくなるときがあるので、精密検査をして欲しい旨述べた。そこで、里村医師は、太郎に右頭痛の状態を詳しく聞こうとしたところ、太郎は、頭部から頸部の圧迫感を覚え、診察机の上に肘を立てるような形で後頸部を抱え込んで、しばらく待ってくれと述べた。そうしたところ、太郎は、同日午後五時五〇分ころ、急に全身痙攣を起こし、椅子から床へ尻もちをつく形でずり落ち、更に横向けに崩れるような形で倒れ込んだ。このとき太郎は後記認定のくも膜下出血を起こしたものである。これに対して、里村医師は、太郎の脈拍が一〇〇以上あること、舌を噛んでいないこと及び荒くて浅いながらも呼吸があることを確認したうえ、看護婦と共に太郎をストレッチャー(移動用ベッド)に乗せ、抗痙攣剤を注射することとした。そして、里村医師は、まず、太郎の血圧を測定したところ、最大値が一三〇を超えており、ほぼ正常な血圧であることを確認したうえで、看護婦に命じて、太郎に抗痙攣剤リアゼパム(商品名セルシン)を筋肉注射させた。なおこのとき、太郎の顔面と四肢にはチアノーゼは出現していなかった。そして、里村医師は、被告に引き継いで太郎を入院させることにして、看護婦に命じて、ストレッチャーに乗せたまま三階の集中治療室に移した。このとき、里村医師は、太郎の右症状ついて、太郎が交通事故による頭部外傷の治療を受けていたことや太郎の右訴えから、頭部に原因があり、外傷性てんかんの疑いをもったので、診療録(<証拠>)に「外傷性テンカン?」と記入して、看護婦を通じて、右診断を被告に伝えることとした。その後、里村医師は、外来患者の診察にあたったため、太郎の治療に直接関与することはなかった。
そして、看護婦が太郎を集中治療室に移した後、二日午後六時ころから、被告が太郎の治療にあたった。被告は、太郎が集中治療室に移されたとき同室にはおらず、看護婦から呼ばれて、同室に行った。その際、被告は、看護婦から、太郎の症状について、顔面と四肢にチアノーゼが出現しており、心停止及び呼吸停止をきたしていると伝えられた。被告が同室に行ったときには、既に看護婦が太郎に心臓マッサージをしているところであり、被告は、太郎が呼吸停止の状態にあり、痙攣発作を起こし、意識を喪失していることは確認したが、心停止(他覚的に心音が聴取できず、脈拍を感得できない状態)の発生した瞬間については自ら確認しておらず、看護婦の判断を伝え聞いたのみである。その後、被告は、気管を確保するため挿管をしたうえ、高濃度の酸素を送りながら人工呼吸を施し、また、看護婦から引き継いで自ら心マッサージをしたところ、二日午後六時一五分ころ、太郎の顔面及び四肢のチアノーゼは改善し、心臓の状態もマッサージを続けなくても血圧を維持できる程度となったので、被告は心マッサージを終了した。このとき太郎の血圧は最大値一一〇最小値九〇であった。この間、被告は太郎の痙攣の状態を観察していたが、自ら脈拍をとったか否かは前掲各証拠からも明らかでない。そして、被告は、二日午後六時二二分の心電図において、梗塞曲線を認め、太郎に心筋の重大な障害が発生していると認識した。二日午後六時三〇分ころ、太郎はバッキング(息がつまったような全身の緊張状態)を起こしていた。また、被告は、太郎の白血球数を測定して二万〇七〇〇と非常に高いこと、及び心エコー検査により心臓左心室の後壁の筋肉運動が不全であることを確認した。太郎は、二日午後七時ころには自発呼吸ができる状態になっていたが、バッキング及び痙攣は続いていた。被告は午後七時ころ太郎に抗痙攣剤セルシンを筋肉注射し、更に午後七時二五分ころ、痙攣及びバッキングを止めるため筋弛緩剤ミオブロックを投与した。太郎の痙攣及びバッキングは、午後八時ころ一旦消失したが、その後も三日午前一一時ころまで断続的に発現した。また、太郎はこの間意識不明のままであった。なお、里村医師が、外来患者診察終了後の午後八時ころ、被告に太郎の症状は脳に異常があると考える旨の意見を述べた。被告は右治療の間、太郎をベッドに寝かせたまま、太郎の心臓活動及び呼吸活動を装置によって継続的に観察していたが、被告又は看護婦が常に太郎の状態を側で直接観察していたわけではなかった。そして、被告は、午後九時ころ、当日宿直診察をすることになっていた今林医師に太郎の治療を引き継いだ。
右のように被告が太郎に対する治療をしている間、被告の太郎の症状に対する見解は、当初、痙攣発作を起こしていることから、頭蓋内の障害が原因であるとの疑いをもったが、痙攣の直後に心停止があったということを理由に、急性心不全が顕著であり、その症状は、右心電図の梗塞曲線等から、心筋梗塞によるものとの疑いをもった。但し、確定的な診断はできなかった。そこで、被告は太郎の心臓活動の管理を重点的に行いながら症状を観察することとし、右のような治療を行った。
被告から太郎の治療を引き継いだ今林医師は、二日午後九時ころ、太郎の症状を心筋梗塞によって脳血栓を起こしたものとの疑いをもった。なお、今林医師は、そのころ、太郎の家族に「心筋梗塞を起こしたのは確かであるが、頭痛、痙攣との関係など不明な点がいくつかあるので、とりあえず一般状態を落ち着けたうえで精密検査が必要である。現在比較的落ち着いてきたようであるが、なお、重篤な状態で、再発作、増悪の可能性が十分ある。」旨説明した。なお、被告もそのころ太郎の家族に、同様の説明をした。今林医師は、午後九時以降、心臓及び呼吸の活動を観察しながら、気管内挿管内吸引等を行った。三日午前零時には太郎の痙攣及びバッキングは消失していたが、三日午前一時三〇分にはファイティング(呼吸をつまらせるような痙攣発作)が出現したので、今林医師は、セルシン及びミオブロックを注射した。午前一時四〇分には呼吸は規則的で安静呼吸となり、午前四時には、血圧は最大値一一〇、呼吸は規則的であったが、この間痙攣はなお完全に消失してはいなかった。
今林医師は、太郎の症状について、前記のように当初心筋梗塞の疑いをもっていたが、三日午前二時ころには、心電図の観察などから、脳出血の疑い、即ち、根本的な原因が心臓ではなく脳にあるという疑いももつようになった。
三日午前八時ころからは、今林医師から引き継いだ被告が再び太郎の治療にあたった。午前九時三七分の心電図では、やや頻脈があるものの、ほぼ梗塞曲線が消失し、正常な波形に近いものであった。その後、午前一一時ころには太郎の痙攣及びバッキングがほぼ鎮静化したので、被告は、CTによる断層写真撮影で脳の検査をすることにし、午前一一時三〇分ころ、CTによる撮影を行った。その際、被告は太郎の呼吸状態がなお十分なものではなかったのでアンビュ(手動式人工呼吸器)を装着して太郎をCT室まで移動させ、CT室内ではレスピレーター(人工呼吸器)を装着して右撮影を行った。そして、被告は、太郎の脳の断層写真で脳溝及び脳室内に均等に出血していることを認めたので、太郎の症状の原因がくも膜下出血であると診断した。被告は、三日午後零時四五分、ルンバール(腰椎穿刺。脊髄液を採取して行う検査)によって、脊髄液が完全な血性であることを認めたので、くも膜下出血の診断を再確認した。
被告は、右各治療ないし検査の経過において、心電図の状態等から、太郎の症状原因について、前記の心筋梗塞の疑いを次第に弱めるとともに、徐々に脳に原因があることの疑いを強め、右CT検査によって確定的にくも膜下出血であると診断したものであるが、被告は、太郎の痙攣発作当初からの症状、とりわけ痙攣症状の程度状況、心臓及び呼吸活動の状況、意識状態等を観察した結果、精密検査を行うことは困難又は不可能であり、とりわけ、太郎の症状原因についてくも膜下出血の疑いがもたれた時点においてもCT検査やルンバール検査を行うことが困難と判断し、他方、太郎の生命にかかわる心臓及び呼吸状態並びに痙攣発作の症状を回復確保することが緊急かつ最優先の治療行為であると判断したことに基づき行われたものである。そして、被告は太郎の右症状が一応安定回復し確定検査の施行が可能となった状態で右CT検査をした。また、被告はくも膜下出血の診断をするための検査としてはCT検査の方がルンバール検査よりも安全かつ確実であるという認識のもとに、CT検査をルンバール検査に先立って行ったものである。
その後、被告は、三日午後三時から四時ころにかけて、太郎のくも膜下出血の治療を脳外科専門医に委ねるため、太郎を阪和記念病院に転送する手段をとった。この際、被告は、阪和記念病院脳神経外科の奥医師に対して、太郎が二日夕方全身痙攣を起こして入院し、二日は呼吸及び循環器の管理で診断をつけられなかったが、三日のCT検査及びルンバール検査でくも膜下出血と診断した、太郎は意識がなく縮腫状態である旨の記載をした紹介状を送付した。なお、このとき被告は、太郎の症状がハントらの分類によるくも膜下出血の症状(弁論の全趣旨により被告の主張2(二)(1)のとおり認められる。)の第[4]度程度に該当すると診断していたので、太郎が必ずしも手術適応にあるとは考えておらず、また、特に早期(発症後三日ないし四日以内)の手術は必要なく、たとえ手術をしても太郎が死亡する可能性が高いと考えていたが、太郎の家族(原告ら)の感情等を考えて脳外科専門医師を擁する阪和記念病院に転送したものである。
二日から三日にかけての太郎の症状及びこれに対する被告ら東朋病院医師の措置の内容・経過については、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
因みに、右認定にかかる太郎の心停止の状態とは、太郎の他の症状に関する右認定事実並びに<証拠>に照らすと、心電図の波形が平坦になり、脳死をきたすような状態に至っているものをいうのではなく、脈拍が弱く他覚的に感得できず、心音を聴取することが困難な状態をいうものである。なお、原告らは、里村医師が太郎について心不全との診断を下したと主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。また、原告らは、被告が三日午前二時の時点で腰椎穿刺を行い脊髄液が完全な血性であったので、太郎がくも膜下出血又は脳出血を発症していることの顕著な所見を得ていたと主張するが、<証拠>を総合すると、被告が太郎の腰椎穿刺をしたのは三日午後零時四五分の一度のみであり、これ以外に腰椎穿刺をしたことはない事実が認められるので、原告らの右主張は採用できない。また、原告らは、原告らが太郎を阪和記念病院に転送したと主張するが、前掲各証拠によると、前記認定のとおり被告が右転送を行った事実が認められるので、原告らの右主張は採用できない。
2 次に、右のように被告が太郎を阪和記念病院に転送した後の阪和記念病院の医師の措置の内容・経過について判断する。
前記認定事実に加えて、<証拠>を総合すると次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
三日午後四時八分、阪和記念病院は、東朋病院から太郎の転送を受けた。このとき、太郎の意識状態は、脳幹反射は残存し、対光反射は敏速で、眼球の運動・反射及びその他の反射は正常で、心電図に異常はなかったもの、疼痛刺激に対しては開眼しないという半昏睡状態であった。これは、前記ハントらが分類したくも膜下出血の重症度の第[4]度に該当する。また、太郎の四肢の運動機能は強直であったが、痙攣発作は認められなかった。阪和記念病院では、直ちに、人工呼吸装置を装着したまま頭部CT検査を行い、太郎がくも膜下出血であることを確認した。その後、同病院では、太郎の血圧の状態などについて経過観察をしたうえ、翌四日午前一一時ころから、太郎について次の手術を行った。即ち、開頭して脳室ドレナージ術(脳室拡大部に管を入れ、髄液を取り除く手術)をしたうえ、血腫のたまっていたシルビス裂を壊し、前交通動脈の動脈瘤(一か所)をクリッピングした。右手術は、クリッピングが完全に行われ成功したが、くも膜下出血を原因として重篤な脳血管攣縮を起こしたため、太郎は、前記二認定(当事者間に争いがない事実)のように、同月九日午後七時二三分死亡した。なお、脳血管攣縮は、くも膜下腔の出血が溶血を起こすことを原因として起こる症状で、これによって脳に血液が流れなくなり、死亡に至るものである。
3 原告らは、被告に、太郎の症状についてくも膜下出血であるとの診断を遅延させ、及びくも膜下出血と診断した後も、安易に手術適応性がないと判断し、徒に迅速かつ適切な救急措置の施行を著しく遅延させ、太郎を死亡させた過失があり、また、里村医師にも太郎の症状についてくも膜下出血であると診断しなかった過失があると主張する。
ところで医師は、人の生命及び健康を管理する医療行為に携わるものであるから、その行為の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を履行することが要求されるが、一般にくも膜下出血の疑いのある場合、及びくも膜下出血の確定的診断のある場合に、医師として右最善の注意義務をもって施行すべき適切な医療措置について更に検討するに、前記認定事実に加えて、<証拠>(当事者間にほぼ争いのない事実を含む。)を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血は、四〇歳代から五〇歳代に最も多く発生し、その症状は突然性の激しい頭痛並びに意識障害又は意識喪失を伴うのものであって、大量に脳内(くも膜下腔)で出血し、溶血によって脳血管攣縮を起こして脳に血液が流れなくなったり、出血に伴う浮腫による頭蓋内圧の亢進から脳ヘルニア(脳の一部の位置異動)を起こしたりして死亡するという機序がみられ、その死亡率は初回発生時に約一五パーセント、再発作の場合に約四五パーセント、第三回の場合に約七五パーセントに及ぶ危険な疾病である。その発見のための検査としては、通常CTによる頭部断層撮影検査又はルンバールによる脊髄液検査が用いられるが、CTによる検査の方がより安全性が高く、一般的である。くも膜下出血の重症度については、被告主張のように、前記ハントらによる分類がなされ、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血に対する治療方法としては、早期に開頭して、血腫の除去、脳室ドレナージ(脳室内に管を挿入して髄液を一時的に体外に排出して脳室内圧を下げる手術)、動脈瘤柄部閉塞(クリッピング)等の手術を行い、脳ヘルニアの予防、再発の防止をはかって患者の生命を守ることが必要であるとされている。右手術の時期はくも膜下出血の重症度によっても異なるが、脳血管攣縮が出血後約七二時間で発生するので、手術はそれまでに早期にすべきであり、一般に、出血後約四八時間以内に検査手術をすべきであるとされているが、四八時間以内であれば手術時機の遅れはほとんど手術の結果に大差はなく、適切、迅速な手術の機会を逸したものとはいえない。但し、早期手術が必要としても、出血後六時間以内は、再出血等の危険性が非常に高いので、絶対安静を保たなければならず、手術だけでなく、CT、血管撮影等の検査も行なうべきではない。なお、日本では手術は右のように発症後六時間ないし四八時間の間に早期になすべきであるというのが一般的見解であるが、欧米では発症後約三週間後まで待って手術を行なうという方法もとられており、右待機手術も早期手術に比べて必ずしも劣っているとまではいえない。更に、その重症度と手術による回復の可能性については、前記ハントの分類の第[5]度(完全な昏睡・瀕死状態)では、回復の可能性は殆ど存しないが、第[4]度(中等度の昏睡状態)で脳幹反射が残っているような場合には、手術によって回復する可能性はある。
したがって、右早期手術が必要との見解によると、くも膜下出血を起こした患者を発見した医師は、手術によって回復する可能性のある場合、出血後六時間ないし四八時間内に手術を行うべきであるが、自ら手術ができない場合には、発症後六時間以内には可及的に患者の安静を保って再出血を防ぎ、その後、症状の安定を待って、六時間以上四八時間以内に手術が行なえるように、くも膜下出血に対する手術が可能な専門医のいる病院に右患者を転送する義務を負うものといえる。
4 以上を前提に、被告及び里村医師の措置の適否、原告主張の同人らの過失の有無について検討する。
まず、里村医師は、前記認定のように、二日午後五時五〇分ころ、太郎が痙攣発作を起こして転倒したとき、脈拍と呼吸の状態等を確認したうえ、抗痙攣剤セルシンを筋肉注射する応急措置をとった。そして、里村医師は他の外来患者の診察をする必要があったので、太郎を被告に引き継いで入院させ精密検査を行うことにし、同日午後六時ころに看護婦に命じて集中治療室に移した。このとき里村医師は、太郎の症状について外傷性てんかんの疑いをもったので、その旨診療録に記載して看護婦を通じて右診断を被告に伝えることとし、また、外来患者診察終了後、被告に太郎の脳に異常がある旨の意見を述べた。そうすると、里村医師が太郎の治療に直接あたったのは右一〇分ないし一五分間だけであり、この間、里村医師が痙攣発作を起こした太郎に対してとった応急措置は適切なものと解され、また、より精密な検査ないし診療を行なうため太郎を集中治療室に移して被告に引き継いだもので、その際の診断も現象的な心不全というより根源的な脳の異常を示唆したもので、現実に生じていたくも膜下出血の症状診断に有益なものといえるし、くも膜下出血についての措置は前記のように六時間以内は絶対安静を保ち検査手術等は行なうべきでないのであるから、里村医師の太郎に対する右措置には、原告主張の適切、迅速な検査及び救急措置を行わなかった過失があったとは認められない。したがって、里村医師の過失を前提とする被告の使用者責任は、その余の点について判断するまでもなく認めることができない。
次に被告固有の過失の有無について判断する。
前記認定のように、被告は、二日午後六時ころ集中治療室で太郎の治療を開始した際、太郎の顔面及び四肢にはチアノーゼが発現し、意識を喪失し、呼吸停止して激しい痙攣発作を起こし、看護婦に心臓マッサージを受けている太郎を見て、当初、頭蓋内の障害が原因であるとの疑いをもった。なお、被告が里村医師の外傷性てんかんの疑いという右診断の伝達を現実に受けたかどうかは証拠上必ずしも明らかではないが、<証拠>に照らすと、少なくとも被告は、カルテの記載ないし看護婦からの伝達によって里村医師の右診断を認識することは可能であったと解される。また、<証拠>を総合すると、痙攣発作の原因としては頭部の障害が最も一般的であることが認められる。したがって、被告は、外科を専門とする医師として、太郎の症状の原因が頭部にあることを認識把握することは十分可能であったといえるし、現実にその疑いももった。
しかし、被告は、太郎が心停止を起こしたことを理由に、急性心不全が顕著であると考え、また、太郎の心電図の梗塞曲線等により心筋梗塞の疑いをもったので、頭部の検査及び治療に優先して生命にかかわる心臓活動の管理をまず緊急・重点的に行なうこととして、前記認定のような一連の救急治療措置をとった。被告が把握した太郎の心停止とは、必ずしもすぐに脳死をきたすような切迫した状態に限るものではなく、脈拍が弱く他覚的に感得できず、心音を聴取することが困難な状態にあることをいうものであるが、<証拠>に照らすと、右のような心停止であっても、心臓の完全停止につながり、脳死をきたす恐れがあるので、心マッサージ等により緊急に心臓活動を改善する措置をとらなければならないものと解される。また、太郎の右症状からは直ちに脳障害の検査を行ないうる状態にはなかったし、また現実にはくも膜下出血が発症していたので絶対安静を保ち右検査を行なうべきではなかった。
被告は、二日午後六時一五分ころ、太郎の心臓活動がある程度改善されたと考え、心マッサージを終了した。以後、被告は、心臓活動及び呼吸活動を装置によって継続的に観察しながら、太郎の痙攣及びバッキングについて、抗痙攣剤や筋弛緩剤を投与する等の対症療法をとって太郎の安静を保ったが、脳についての検査は翌三日午前一一時ころにCT検査をするまで行なわなかった。この間、被告から治療を引き継いだ今林医師は二日午後九時ころ、心筋梗塞による脳血栓を疑い、三日午前二時ころ、脳出血の疑いをもったが、前掲各証拠に照らすと、今林医師の右診断結果は、三日午前八時ころに同医師を引き継いだ被告も認識把握することは可能であったと解される。また、被告は午前九時三七分の太郎の心電図に梗塞曲線が消失したことを認めた。これらのことから、被告は、太郎の症状の原因が心臓ではなく脳にあるという疑いを徐々に強めていった結果、太郎の心臓及び呼吸状態並びに痙攣発作の改善と検査可能状態の回復を待って、右のようにCT検査をして、太郎のくも膜下出血を認めたものである。
そこで、これらの被告の判断及び措置が太郎の症状に対して適切であったかどうかを検討する。被告は、右のように太郎の治療を開始した当初から、太郎の症状の原因が脳にあることを認識把握することは可能であった。また、<証拠>によると、痙攣発作によってCT検査が困難なときは、薬物によって痙攣を止め、人工呼吸をすることによって、CT検査自体は可能となることが認められる。また、太郎はくも膜下出血によっても脳幹反射が残っており、その重症度は、前記ハントの分類における第[4]度であったのであるから、迅速かつ適切な手術によって回復する可能性はあった。ところで、前記3認定のくも膜下出血に対する措置義務の内容として、被告は、発症後六時間以内(三日午前零時ころまでの間)はくも膜下出血の検査をしなかったが、同時間内はむしろ検査・手術等を行なうべきではなかったのであるから、その間、くも膜下出血の検査を行なわずに絶対安静を保持し、かつ生命にかかわる痙攣発作並びに心臓及び呼吸の状態の改善と管理を緊急かつ最優先に行った被告の前記一連の治療措置には過失があったとはいえない。
更にその後の措置であるが、太郎のくも膜下出血発症後六時間を経過した三日午前零時ころは、今林医師が宿直医として太郎の治療に当っていたが、同医師は心筋梗塞による脳血栓の疑いをもちながらも太郎が重篤状態にあるので症状の改善回復を待って精密検査を行なうこととし、当面は太郎の心臓及び呼吸状態の観察をしながら気管内挿管内呼吸の応急措置を行なっていた。そして、三日午前二時ころからは脳出血の疑いが生じ、他方、痙攣は消失し呼吸状態は改善回復して来たのであるから、原告主張のように、この時間以降は、今林医師、更に三日午前八時ころから同医師の治療を引き継いだ被告においても、速やかに脳出血の疑いをもってCTなどの検査を行ないえたのに、被告が現実にCT検査を行ったのは三日午前一一時三〇分であるから、計算上は一応その間の九時間三〇分の検査遅れがあったとしても、前記認定のとおり、今林医師は宿直医として深夜太郎の治療を担当して太郎の痙攣並びに呼吸及び心臓状態の回復に専念し、三日午前八時ころ被告に引き継いだこと、被告は右引き継ぎを受けた後に前記のように太郎の症状の観察をし、脳出血の疑いを強めながらも慎重を期して更に太郎の呼吸及び心臓状態の観察・検査をし、CT検査等に耐えうるか否かを確認したこと、三日午前一一時三〇分の検査時においても太郎の呼吸状態はなお十分なものではなかったが早期検査の必要上人工呼吸を装着してCT検査をしたことなどに照らし、右CT検査が著しく時期に失した検査ということはできないし、また、くも膜下出血の場合は発症後四八時間以内であれば患者の症状と手術適応状態をみて適切な時期に検査手術を行なうべきであって、そのために手術時期に時間的な遅れがあっても右時間内であれば手術の結果には大差がなく、本件においても、右検査診断後、手術適応期間内である発症の約四一時間後には現実に手術が行なわれたのであるから、右CT検査が原告主張のとおり約九時間遅れたとしても、それにより適切、迅速な手術の機会が奪われ、太郎を死亡させたものということはできない。
更に被告は、前記認定のとおり三日午後零時四五分、念のためにルンバールによって太郎のくも膜下出血の診断を再確認し、同日午後三時から四時ころ(発症後約二一時間から二二時間後)、脳外科専門医を擁しくも膜下出血の手術の可能な阪和記念病院に太郎を転送し、併せて太郎の症状と診断結果を記載した紹介状を送付した。同病院では、前記のような太郎の症状の経過観察と検査のうえ、手術可能と判断された四日午前一一時(発症後約四一時間後)ころから太郎の手術が行なわれたのであるから、被告のこの点の措置にも過失があったとはいえない。
なお、前述のとおり、被告は、三日午前一一時よりも前にくも膜下出血の診断をすることが不可能であったとまではいえないが、それまでの間、くも膜下出血の検査よりも緊急を要する呼吸及び心臓状態の管理等を行ない、痙攣が鎮静化するのを待って人工呼吸をしながら慎重にくも膜下出血の検査を行なったのであるから、被告が太郎に徒に絶対安静を保たせて時間を空費したものとはとうていいえない。
また、前記認定のように、被告は、太郎のくも膜下出血を発見した後も、その症状と重症度から太郎は速やかな手術適応状態にあるとは考えていなかったが、家族の心情をも考えて右検査診断後速やかに手術可能な病院に転送する措置を現実にとり、右措置が適切な手術の機会を逸したものとはいえないのであるから、右の点を捉えて太郎の死亡に影響する被告の過失があったとはとうてい解されない。
したがって、他に被告の過失を疑わせる特段の事情の認められない本件においては、被告は医師として要求される危険防止のために実験上必要と認められる最善の注意義務(原告ら引用の最高裁昭和三六年二月一六日判決参照)を怠ったものとは認められず、太郎の死亡について、被告に過失があったということはできない。なお、原告ら引用の最高裁昭和五一年九月三〇日判決は、本件とは事案を異にし適切でない。
五 結論
以上によれば、原告らの被告に対する請求は、いずれも、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これらを棄却することとし、訴訟費用について民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小林一好 裁判官 田中澄夫 裁判官 光本正俊)